弊社の社名「置賜(おいたま)建設」という名前の由来の話をさせて頂きます。
創業当時、弊社は、現住所の米沢市花沢にはありませんでした。米沢市に「置賜(おいたま)駅」という駅があります。戦時中、その置賜駅の近くに、木製飛行機の製造工場がありました。弊社の創業者は、そこで工場長として勤めていました。
終戦後すぐ、昭和20年、その工場で働いていた大工さんたちと一緒に、建築請負業をスタートさせたのが弊社の始まりだそうです。
それゆえに、弊社の社名は置賜駅の名前に倣って「置賜(おいたま)建設」と読むことになったと聞いております。
昭和24年「置賜建設株式会社」となり、昭和30年代には国交省勤務だった先代が弊社に戻り、そこから本格的に土木事業をスタートさせました。
しかし、2000年代に入ると公共土木建築工事は半減し、建設業界は厳しい状況に立たされました。
ドイツにはアウトバーンという高速道路があります。100年近く前から使われていますが、今でもたくさんの車が走る現役の高速道路です。コンクリート50年という常識の中、アウトバーンは供用から50年を遥かに上回っても今なお現役。これはドイツの補修・補強の技術が優れているということに他なりません。
弊社ではそのドイツでの50年の実績ある技術を取り入れ、近年日本でも問題になっているコンクリート構造物の経年劣化問題に取り組んでいます。
4セットの吹付マシーンと2台のウォータージェットマシーン、半自動ロボットを保有し、自社の直営スタッフによる責任施工を行っております。
これからの日本は、メンテナンス・修繕の時代へ本格的に移り変わります。コンクリート補修・補強事業において10年以上の実績を持つ弊社といたしましても、より力を入れて精進していく所存でございますので、今後ともよろしくお引き立て賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。